自由群の逆元について思うところ

自由群の剰余群で群を表示するというアプローチがある。

典型的な群論の導入では、元の集合があって、そこに演算を定義していくため、「元の集合」と「逆元の集合」とが分離しているイメージはない。一方で自由群の場合、まず自由モノイドを用意して、そこに「逆元の集合」を加えて、逆元が打ち消すという条件で演算を定義することで群にしている。自由群では「元の集合」と「逆元の集合」が、ある非常に限定された組み合わせの場合を除いて知らんぷりしている。この剰余をとることで、「元の集合」と「逆元の集合」が複雑に仲良くする(同値類ができる)イメージを持っている。

上のイメージを推し進めてさらにざっくり言うと、自由群というのは著しく「キレイ」な構造で、その剰余をとることで「群の汚さ」を表現することができる、ということなのだと思う。

こういうことを考えるのもまた面白い。