2022/12/8の消したい日記

ゼロ知識証明を最近よく耳にする。一見不可能そうなことが、実はできる、というのが面白いポイントになっているようだ。この分野に限らず、人類は多くの不可能を可能にしてきた歴史がある。現状では不可能と思われる問題も、いつか、思いもよらない発想で「可能」になるかもしれない(場合によっては、前提をうまく崩すことも考えられる)。

現状で、解決されたら嬉しい問題として、「過去問対策」という問題が挙げられる。試験において出題傾向が過去問という形で分析されて、正確に知識量等を測定できなくなっていく問題のことである。

私は勉強自体は(ある程度)好きなのだが、過去問対策は嫌いである。純粋な勉強は自分自身にとって明確にプラスになる行為だと捉えられるが、過去問対策というのは、確率的に自分の能力を過大評価させるための「ズル」い行為という印象であって、いかにも気持ち悪い。過去問対策をする中での学びがあることも否定はしないが、悪質な行為をしているような罪悪感の方が強く、全然楽しくない。それに、そこで得られるのは知識ではなく、「この知識を持っているとこの試験に受かりやすくなる」みたいなメタ知識の場合が多い。そんなことは知りたくないのである。

しかし、皆がそれをやることによって、まるでそれが道徳的に許容される行為であるかのように見えてしまっている。この「皆がやっているから、やらないと不利になる」みたいな側面も嫌いである。なくなればいいのになあ、とは思うものの、過去問の流出を防ぐことはほとんど不可能に見える。私自身も、有利に生存するために、過去問対策をしてしまうことがある。悪いことだとわかりつつそういうことをしてしまう自分がまた、許せない。

この問題を解決する方法があるだろうか。