であることと同じということ

以前ネス化という概念を考え始めたが、ここ最近は、ネス化というのは要するに「であること」なのだと思っている。

「であること」を言い方を変えると「でないとおかしい」だとか「でないはずがない」になって、いかにもややこしいが、実際には「である」というただそれだけのことと考えるとシンプルに捉えられる。

そして「である」というのはパズルそのものなのだとも思っている。パズルというのは突き詰めていくと当たり前のものが積み重なって当たり前でないように見えているだけの話である。パズルは出題された時点で答えを知るために必要な全ての情報を与えられている。ただ、回りくどく提示しているために真相にたどり着くのに時間がかかるというだけのことだ、と考えている。これは少しどこかが間違っているかもしれないが、まずはゆるい議論を書いていると思ってほしい。

同じような側面を持っている概念に「同化」がある。何かと何かが似ていると一見して区別がつかない、というのを同化と呼んでいる。ここではもう少しやさしく、「おなじ」と言おう。これはしばしばパズルと関わっているが、よくよく考えてみると、やはり「おなじ」というのはパズルそのものであるのだということに気づく。

こういう議論はいかにもパズルの哲学サイドという感じであまり生産的な話につながらない気もしているのだが、ついついこんなことばかり考えてしまう。