2022/11/1の情報を集約する日記

自分が学んだことや、考えたことを、記事に書いたりデータ表にまとめたりするのは楽しい。自分で情報を管理するということは自分なりに管理の規則を定めて一貫した規則で管理できるということだ。これは、自分の脳のネットワーク構造(思考している内容の構造、といった方が正確か)をデータ構造として表現しているようでもあり、同時に、自分の頭の中を整理しているようでもある。それは、自分にとって有意義に思えるし、世界に対しても多少の役に立っているように思える。

しかし、情報量が多くなってくると、どうも全体の見通しが悪くなって、結局は「ググる」のとほとんど変わらない様相になってくる。こうなると自分の頭の中を整理する効果は薄れる。何かを思い出すたびに別の何かが記憶の中から抜けて行ってしまうので、家の窓から部屋の外を眺めているだけ、という感じになる。作ったデータ構造は、自分の思考の構造からは独立して、何か得体のしれない生き物のように見えてくる。

そのような生き物を自分が生み出す意味はなんだろう。インターネット上には、同じような思想に基づいて作成されたであろう膨大な知識データがたくさん存在している。自分が考察する内容についても、自分にしか考えられないような斬新な発想があるわけでもない。それなら、自分があえて情報をまとめる意義はなんだろう。