2021/11/26のあるタイミングで考えた日記

パズルによっては解いても解いても面白さがわからないかと思えば、ある時唐突に面白さを理解する。 無理に面白さを理解しようとすると却って嫌いになってしまうことがある。 無理に理解しようとしないで距離を置くのが一つの方策になる。

けれど食わず嫌いになりがちで、ベストなタイミングを見つけるのが難しい。

個人的にはこういう状況はパズルに限らずよく起こるが、もう少しちゃんと言語化しようとするとどうなるだろう。

一つの例え方として、山登りを考える。山の頂上にまっすぐ登ろうとすると、勾配がきつくてとても登り切れないが、程よく蛇行するように登っていくと、いい具合になる。しかし蛇行しすぎると、無駄をしているという感覚になってしまう。これは上手い喩えになっているだろうか。

何か違う感じがする。

新しいものに手を出す、というのはどちらかというと「手を出す」or「手を出さない」の二値を取る行動選択なので、例えるなら、二つのレールが並走していて、今右側のレールを走っている列車が、左側のレールに乗り移る最適なタイミングを図っている感じである。

レールは一見して無限に続いているようだが、人生は有限であるため、どこかしらで途切れていると言える。ただしレールの終端がいつ来るかは正確には予測できない。右側のレールはごく平凡な人生のレールである。左側のレールにうまく乗り移ることができれば人生において得ができそうであるが、うまく乗り移るタイミングが難しい。

多少整理が進み始めてきたが、肝心の「タイミング」を決める要因の部分がうまく言語化されていない。